空手は、日本古来のものですが、そのルーツをたどれば中国から伝わった拳法と沖縄の伝統武術の「手(ティー)」を基に発達したといわれています。
沖縄は、昔から諸外国と貿易を盛んにしており、その取引や航海で起こる危険から身を守るため、また、それら貿易で利益を得ようと乗り込んできた薩摩藩からの圧力に対抗するために、徒手(素手)による武術「手」や、身近なもの(鎌や櫂)を武器に戦う「古武術」が発達していました。 その「手」に、貿易などで親交のあった中国人や流れ着いた漂着者から教わった拳法が加えられ、現代空手の前身である「唐手」が生まれました。 沖縄がまだ琉球と呼ばれていたころ、沖縄唐手には3つの系統がありました。 直線的でスピーディな攻撃を主体とする「首里手」、近距離でパワフルな攻撃を得意とする「那覇手」、緩急自在な動きで力と速さを兼ね備えた「泊手」の3つです。 この中の「泊手」は琉球の泊村で、漂着者の武人から習った武術を基に宇久嘉隆と照屋規筬が生み出したのが最初といわれています。 その二人を師と仰ぎ、後を継いだのが、松茂良興作です。
松茂良興作は「泊手」に磨きをかけ、自らの鍛錬に励みながら、後輩の育成に務め、完成した「泊手」を伝承していきました。 松茂良興作の没後も伝承者によって「松茂良流 泊手」は新たな後継者に伝えられましたが、基本的には門外不出の技であり、伝承者の中には、むやみに弟子をとらない人がいたり、また、「首里手」や「那覇手」を取り入れる人がいたため、正式な「松茂良流 泊手」を伝承する人は、ごく僅かになってしまったのが実状です。